この子
この記事は私の乳がんの経験談その②です。
その①は↓から読んで貰えると嬉しいです。

精密検査を受けに初めての乳腺外科へ
夫と相談して、精密検査を受ける病院は家から行きやすい総合病院の乳腺外科に決めました。
乳腺外科がある個人クリニックもいくつか検討しましたが、精密検査の内容によっては、最終的に総合病院を紹介されることがあると情報を得たので、最初から総合病院を選択しました。
総合病院に行くのは10年ほど前に祖父が入院をしていた病院へお見舞いで行ったっきりで、すごい人の数に圧倒されます。
総合受付から乳腺外科の受付へ紹介状を渡します。
予約をしないで行ったので手続きに時間がかかりました。
人間ドックの際に持たされたマンモグラフィーの画像も渡しましたが、医療事務の女性に「当院でも撮影したいので、マンモグラフィー室へいってもう一度とってきてね、と言われ、とぼとぼマンモグラフィー室へ。
数日でまたあの痛いマンモグラフィーを受けなくてはいけないなんて、なんなんだよぉとガッカリでした。
しかも方向音痴の私には大病院でマンモグラフィー室を探すのが大変だった記憶があります。
マンモグラフィーの撮影が終わった後は、診察室に呼ばれるのをひたすら待ちます。
予約なしで行ったせいもあり、かなりの時間待たされましたが、その間もどこか上の空。
夫にも同伴してもらっていましたが、何も話すことはなく、ただボーッと待ちました。
いつもなら時間つぶしに使っているスマホにも全く触る気持ちになりませんでした。
どれぐらいの時間がたったのか、私の受付番号が呼び出されます。
平静を装ってひとり診察室に入ると、50代後半ぐらいの少し怖そうなドクターがいました。
怖そうではありますが、ベテランのオーラがとてもあり、なんとなく安心感も感じました。
この子
無口なドクターで、画像を観て簡単な説明後、すぐに精密検査として「針生検(組織診)」を行われました。
参考 乳がん精密検査乳がん検診info看護師に上半身を脱いで、診察台に仰向けに寝るよう指示されます。
まさにまな板の上の鯉?そんな気分でずっと目を閉じていました。
準備が整うと主治医が登場し、エコーで腫瘍らしきものをみながら針を刺して組織をとっていきますが、痛みを覚悟するも麻酔をするのであまり痛いとは思わなかったです。麻酔も針なのでチクっとするよと言われたけれど、何故か痛くありませんでした。
ただ注射針を胸に刺すなんて経験は初めてなことと、組織をとる時に「バッチン」「バッチン」とすごい音がするので、よくわからない恐怖におそわれていました。
怖そうなドクターでしたが、針生検をする時にはとても優しく少しユーモラスなことも言ってくれて少しだけ心が楽になり、検査結果は1週間後と言われ予約をして帰りました。
家に帰り、検査結果の予約日までは気を楽に過ごそうと思いましたが、それは無理でした。
幸いにも(?)仕事を辞めて、在宅ワークをはじめたばかりの頃で時間は自分で使い放題だったため、毎日毎日「乳がん 精密検査 大丈夫だった」やら「乳がん 偽陽性」など大丈夫である可能性を探して検索魔となりました。
親友ひとりにだけ、今の状況を話して電話で沢山話しを聞いてもらいました。
驚いていたけれどただただ話しを聞いてくれて、少し心が安定することもありました。
精密検査日から結果を聞くまでの1週間は検索魔となり友人との電話以外、他に何をやっていたのか全く覚えていません。
ただ、どこかで検査結果が悪いことを予感していて落ちるだけ落ちていました。
精密検査結果を聞きに2回目の乳腺外科へ
夫と病院へと向かいましたが、なんとなく一緒に話を聞くのは嫌で、夫には病院内のカフェで待っていてもらい診察室へ。
主治医の前には私のものらしきマンモグラフィーの画像が映し出されていました。
腫瘍の部分を説明され「結果はねぇ、まぁ悪かったんだよね」と主治医。
私「あぁそうですか」(嫌に落ち着いていました)
主治医「でも、まぁ乳がんは治るから」→ここで初めて乳がんという言葉を主治医から聞きました。
私「そうなんですか?」
主治医「うん、80%は治る」
私「あとの20%って?」
主治医「再発とかね」
私「・・・」
主治医「うん、まずは手術をしましょう。」
私「部分切除はできますか?」
主治医「腫瘍の大きさから、できないわけじゃないけれど胸の形が悪くなるから全摘して再建したほうが良いんじゃない?」
再建に関しては、手術前日までするかしないか決められるということで、まずは手術日が決定しました。
告知日より約5週間後です。早いような遅いような、色々な気持ちが廻りました。
その後、手術前の様々な健診の予約がとられます。
乳腺外科の看護師と医療事務の担当の方は、とてもテキパキとしていて、あっという間にさまざまな健診の予約が終了し、夫のいるカフェへと帰りました。
夫は不安そうな表情で待っているかと思ったら、意外にも普通の表情。
明るく「ダメだった。乳がんだって。来月手術だって。」と伝えたら
夫も明るく「うん、わかった。がんばろうね」と答えてくれました。
きっと夫も私の様子に併せて、どこかで覚悟してくれていたのかなと思いました。
キャンサー(がん患者)となってしまったけれど、生きていくための治療をしなくてはいけません。
まずは私が決めなくてはいけないのが、乳房再建手術をするかしないか?一番悩んだのがこのことかもしれません。
当時に私が選択したのは「再建しない」でしたが、3年後の現在は再建手術を終え、不自由なく暮らしています。
乳房再建の経験については、また書いていきたいと思います。